コロナ以降も変わらない「和太鼓の本質」|令和時代の和太鼓を考える

コロナ以降も変わらない「和太鼓の本質」|令和時代の和太鼓を考える

皆さまこんにちは。和太鼓集団鼓蓮のWeb担当兼太鼓日和の編集長のユウトです。

2020年に世界的に大流行をした新型コロナウイルスにおける社会情勢の変化を受けて、和太鼓業界もまた大きな転換期を迎えようとしています。

前回「コロナ時代における和太鼓の未来|和太鼓と人の接点の変化」を執筆させていただいた際は「コロナ以降における和太鼓の価値の変化」と「和太鼓と人の接点の変化」について私の考察を述べさせていただきました。

本記事では前回の「和太鼓と人の接点は大きく変化し、和太鼓の価値は演奏だけに留まらなくなる」という変化していく和太鼓と人の関係性の中でコロナ以降も変化しない「本質」について考察していきます。

変わることのない和太鼓の本質とは何か?

おそらく太鼓打ち一人ひとりがそれぞれ異なる答えは考えにたどり着くであろう題材ですが、私なりに歴史を紐どいて本質の一つにたどり着けたのではないかと思っています。

この記事が和太鼓に携わるすべての人が一度自身の活動を振り返り、じっくりと太鼓と向き合うきっかけになれば幸いです。

コロナ以降も変わらない「和太鼓の本質」

日本に古来から伝わり続けている芸能とは元来「神へ奉納するため奏される歌舞」であり、その年の豊作を祈ったり、疫病天災防ぐために行われる儀式事です。

その性質は現在に残る能楽や歌舞伎、郷土芸能にも受け継がれています。

和太鼓は神話で登場する桶太鼓や飛鳥時代に大陸から渡来した太鼓を源流とし、古くから神事歌舞、祭礼、芸能で使われており、江戸時代では盆踊りで主役の楽器として繁栄しました。

また、時太鼓として「時間を知らせる音」で和太鼓を使用したり、商人が客寄せや接客時の呼び出し音としても和太鼓の音は使われていました。

第二次世界大戦による敗戦直後も日本各地で地域に活気を取り戻す様に盆太鼓が発展し日本に元気を与え、生きる活力を与える音となりました。

今でも和太鼓は神楽の様な郷土に伝わる芸能で伴奏の音として使われ、盆太鼓の軽快なリズムは夏の訪れや日本の古き良き原風景を思い出させるトリガーにも近い役割を担っています。

和太鼓は長い歴史の中で、各時代の中で当たり前の様に存在する音であり、人々の活気や生活に影響を与えてきたという文脈から「和太鼓は人の生活に溶け込んでおり、和太鼓の音は人の心に影響を与える力がある」と言えます。

そのため和太鼓には「音が与えるパワーによる心の動きを与えるもの」であり「音に触れた人の心を動かす性質がある」と私は考えています。

コロナ以降もその性質は変わっておらず、和太鼓は「人々を元気にする」というモチーフで扱われ、「和太鼓の音で元気になろう」という運動を自然と起こすパワーがあります。

そして和太鼓には「神事で使われていた」という文脈から「厄災の収束」を願う祈りの儀式に使われる音としても重宝されています。

こういった歴史的背景もありコロナ以降の和太鼓においても「人々の心を動かす音」として活用されていることが分かります。

また、和太鼓の音は「日本らしさ」を表現するのに適した音であるため、聴いた人の心に「懐かしさ」や「古き良き日本」という感覚を呼び覚ます性質もあルコとから日本人の心を震え上がらせ「頑張ろう!」という力強いメッセージを込めることができる楽器としても活用されています。

例えば、2020年6月30日に日本を代表する和楽器奏者が集まり、松任谷由実の「春よ、来い」をリモートセッションした映像が公開されました。

新型コロナウイルスの流行により世界的に生活環境や経済環境が変化し、和楽器奏者もまた演奏出来る機会を設けることが困難な状況が続いている中で、楽器を演奏する喜び、セッションする楽しみや、音楽の情熱を少しでも世の中にお届けできたらという想いから実現したものです。

参加者は発案者の上妻宏光(津軽三味線)を始め、辻本好美(尺八)、東儀秀樹(笙/篳篥)、中井智弥(二十五絃箏)、林英哲(和太鼓)、藤原道山(尺八)と日本を代表する純邦楽界のトップランカー達による豪華セッションです。

選曲された「春よ、来い」には、「命の芽吹く日本の『春』のように、世の中が動きを取り戻し、穏やかに四季の訪れを感じられるよう」という願いが込められているそうです。

 

2020年7月22日には「日本を江戸にせよ!」を合言葉に、野良着で暮らしながら、和楽器による演奏を全国各地で繰り広げている和楽器パンク「切腹ピストルズ」による<新型コロナウイルスで沈みがちな日本を元気づける歌>として『日本列島やり直し音頭二〇二〇』が発売されました。

映画監督の豊田利晃と「切腹ピストルズ」の飯田団紅(いいだ・だんこう)が世の中を明るくする2020年の応援歌を作りたいと昨年から企画していたもので、コロナ禍の影響で延期されていたものですが、だからこそこの時代にこそ相応しい応援歌としてリリースされました。

小泉今日子、GEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポー、NUMBER GIRL/ZAZEN BOYSの向井秀徳が参加していることから話題を生みました。

 

2020年9月13日には日本の城郭施設では初となる海外に向けての「能楽」のオンライン公演が小田原市を舞台に全世界に発信されるイベントがありました。

「日本が世界に誇る伝統文化“能”を通じて日本中、そして世界中の人々に元気をお届けしたい」という考えからオンライン公演が企画されたようです。

能公演の前後では地元の和太鼓団体によるパフォーマンスも行われており、和太鼓の音は「元気」の象徴として存在感を示しています。

 

2020年12月13日には第9回目を迎える「全国高校生伝統文化フェスティバル-伝統芸能選抜公演-」がオンラインで開催されることが決定しました。

全国各地で古くから受け継がれている太鼓や踊り、箏曲など、伝統文化に勤しむ全国トップレベルの高校生が京都に集い、日々の成果を披露する「晴れ」の舞台である本大会も中止では無く「オンライン」という形で配信され、世界中の方が芸能を見られる機会となりました。

高校生たちの勇姿を多くの人へ届けたいという思いから開催が決定された本大会もまた「世界を元気に」という想いが込められています。

こういったことから和太鼓のみならず和楽器全般や芸能の本質として「儀式」や「祈り」という文脈から「世界を元気にしよう」という想いのもと和太鼓は「日本」という背景を盛り込む時に最も感情を込めやすく、聴き馴染みのある音は当たり前の様にある感覚があり、人々の心を震え上がらせ応援してくれる「音」として存在感を示してます。

和太鼓の本質は古くから変わっていない「囃立てる」という人の心を動かす音であると考えます。

和太鼓は「当たり前の様に存在する音」と「特別な非日常の音」という相反する性質を持ち合わせている

和太鼓の歴史を紐どけば神話の時代まで遡ることができます。

古事記に残されている天の岩戸伝説には天鈿女命アメノウズメノミコト)による日本舞踊発祥の記載があり、そこには「「槽伏(うけふ)せて踏み轟こし、神懸かりして胸乳かきいで裳緒(もひも)を陰(ほと=女陰)に押し垂れき。」とあります。

これは槽伏という「桶」の上に乗り、足で音を鳴らしリズムをとりながら舞踊を行ったという「桶太鼓の原型」ともいえる古の楽器の存在が明らかとなっており、日本の太鼓史は神話の時代から続く長い歴史があります。

今の「和太鼓」と呼ばれる太鼓が日本に登場したのは飛鳥時代に渡来した文化の中にくり抜き胴の太鼓があったと言われ、奈良時代に行われた東大寺大仏開眼供養会では太鼓の音とともに声明が行われたと記録があることから、少なくとも奈良時代には今のに伝わる和太鼓の源流が日本にあったと推測されます。

和太鼓の音は「音楽」や「芸能」に特化した使用方法としてでなく「歌舞におけるリズム」や「雅楽における指揮者としての役割」「日常の中で使われる合図や伝達としての音」と言った幅広い用途で活用されていました。

「雅楽」「田楽」「神楽」「猿楽」と言った古代からある芸能では太鼓の音は使用されており、その後登場する「踊り念仏」「歌舞伎」「浄瑠璃」と言った芸能にも太鼓の音は「当たり前」の様に存在しています。

時太鼓の様に時刻を知らせる役割を持った活用方法や、陣太鼓の様に戦場において仲間に指示を出す伝達の音として使用されたり、チンドン屋の様に客寄せとして太鼓の音が使われたりと、日常生活の中に溶け込んだ音としても和太鼓は存在していました。

歌舞伎では和太鼓の音を「音楽」としてではなく「自然」や「生活」、「感情の変化」を表現するサウンドエフェクトの様な役割で使用されています。

現代でも盛んに行われている盆踊りでは盆太鼓として和太鼓は主役の楽器であり、日本に滞在する方であれば1度は聞いたことがある音として日本の風物詩として心に刻まれておるなど和太鼓の使用範囲は広く、日本で生活していると1度はどこかで聴いたことがある音である可能性が高いです。。

また、誰に聞いても「和太鼓」と聞いて姿形音の性質まで答えることができるのも「和太鼓」という楽器が現代社会においても当たり前の様に浸透している「日本の音」という認識を得ていることが伺えます。

つまり和太鼓は「いついかなる時代においても当たり前の様に存在する音」であると言えると私は考えています。

コロナ禍において「今年の夏は太鼓の音が聞こえなかった」という残念がる声がいくつか上がっていました。

和太鼓の音は「風物詩」として生活の中で無意識のうちに「精神状態に影響を与える音」という役割を持ち始めたのではないかなと思います。

その証拠に「日本を元気にする」という運動が起こる時には象徴として和太鼓の音が使われています。

これらは全て「和太鼓で日本を元気に」というコンセプトが根本にあります。

また、コロナ以前でも「和太鼓で日本を元気に」というコンセプトは根強く存在しています。

日本太鼓 TAKERUによる復興支援活動「元気玉プロジェクト」の復興応援曲「ヨーソロー」の様に和太鼓は「支援」や「応援」と言った人を勇気付ける性質が備わっており、それも「日常に溶け込んだ音」でありながら現代においては「非日常の音」であることからこの様な性質が発展したと考えられます。

和太鼓の音は非日常性を持つだけでなく壮大なスペクタル性もあるため「分かりやすく」「五感に訴える」ことができるため、演奏をする意図を汲み取りやすい性質があります。

それは日常の音として「当たり前のようにある存在」であることと「催事で使用される特別な音」という2つの相反する性質を同時に備えていることから生まれた稀有な能力であると言えます。

和太鼓はどことなく感じる「懐かしさ」と今まで見たことのない「新しさ」を金揃え、ノスタルジーでエモーショナルな気持ちにもさせてくれるだけでなく、パワフルで革新的な新体験ももたらしてくれる楽器なのです。

コロナ禍にいてもその性質は変わらず、現在においても効果を発揮し続けています。

和太鼓の音は聴覚だけでなく、視覚や触覚で体験する「具現化する音」としての特性がある

和太鼓という「楽器の価値観」や「和太鼓と人の接点」はコロナ禍によって大きな変化が発生し、今まで弱かったデジタルとの融合を果たし、プロ団体も積極的にインターネットを通じて世界中に発信をする様になったことと、和太鼓奏者の人間性がより前面に出るタレント性が重視される様になったことが大きな変化の1つと言えます。

和太鼓の音はイヤホンやスピーカー越しでは伝わりにくい「響き」という性質があるため実際に生で触れて見ないことには「和太鼓の良さ」は理解しにくい部分がありました。

コロナ以前から近年ではSNSや動画共有サイトのよる個人の発信により和太鼓は「物珍しさ」や「希少性」に加えて「伝統」や「和の音」という特性を兼ね揃えた楽器として多くの方に使用される様になり、ビジュアルでの分かりやすさや音の理解しやすさ、シンプルでミニマルな楽器でありながらも目をひくパフォーマンス性の高さからも評価されている潮流はありました。

ただし、近年の和太鼓に対する「伝統」という認識とは裏腹に、和太鼓には三味線や尺八といった和楽器と違って「日本音楽」の枠組みの中に独立して存在していないという背景があります。

創作和太鼓の創始者である「小口大八」氏も和太鼓の長い歴史は評価されておらず脇役であり、他の楽器の添え物的存在としてリズムを刻むのみで、重要視されていないことを背景に和太鼓が演奏の主役となる演奏スタイル複式複打法」を確立しました。

この背景からわかる様に和太鼓には「和太鼓楽」や「太鼓楽」と言った日本音楽のジャンルは存在せず、伝統工芸としても日本芸術としても日本芸能としてもまだ始まったばかりという背景を持つ知名度や世間一般の認識とは異なり、まだまだ発展途上な文化とも言えます。

しかし近年では和太鼓の背景は置いといて楽器としての物珍しさや見た目の分かりやすさから「打楽器」として活用される様になり、創作和太鼓団体も太鼓の歴史は知らないけど打楽器として使用しているほど「楽器」としての存在感が増えました。

それは80年代や90年代に起きた創作和太鼓団体の旗揚げが続き、音楽性の高い和太鼓団体が日本のみならず世界で活動を開始し始めた「和太鼓ブーム」や高校生による和太鼓部の全国的な広がりによる盛り上がりなど、和太鼓の持つ「音楽性の高さ」を発信し続けてきた動きによる土台があることも、近年の和太鼓に対する認識に繋がってきていると思われます。

その様な文脈がある中で、和太鼓は世間へ浸透を始め、コロナ以降はインターネットを通じて「演奏以外」での今までとは違う「和太鼓と人の接点」が生まれ始めました。

和太鼓そのものが持つ和太鼓が歩んだ歴史的背景日本音楽における立ち位置、新たに誕生した新興の芸能という立場などの文脈から離れ、和太鼓という存在そのものが一人歩きしている昨今においても、昔から変わらない性質があります。

それが「具現化する音」という五感で感じることができる音体験です。

和太鼓の音は映像や音源では決して伝わらないものがあります。

それが「響き」という性質で、太鼓の音は空気を震わせて波となって身体に衝撃波の様にぶつかります。

和太鼓のとはこの衝撃が大きく、見えないうねりの様な大きなパワーが空間を埋め尽くし、身体を直撃します。

耳で聴く音だけでなく、目で見る太鼓打ちの演奏と肌で感じる音の響きが合わさって和太鼓の音体験は始まります。

和太鼓から漂う木や皮の香り、唾を呑み込む様に圧巻される瞬間。

和太鼓の音は目に見えない何かが「そこ」に存在し、3Dの様に空間に広がるので「具現化した音の姿」を感覚的に捉えることができます。

和太鼓音は「遠くまで響く」という音の広がりが広いことからも「伝令」や「会話」に使われていた楽器でもあることから、古くから和太鼓の持つ音の響き方には今と変わらない「具現がした音の衝撃」を感じていたのではないかと思われます。

和太鼓の持つ文脈を知らなくとも、和太鼓の持つ音の本質は感覚的に理解することができる…

腹に響く音」である和太鼓特有の価値はコロナ以前も以後も変わらず存在する「本質」であり、和太鼓最大の特徴です。

変わるものと変わらないもの

新型コロナウイルスの世界的な大流行によって世界中で同時期に生活や働き方に対する価値観や考え方が大きく変わり、芸術やエンターテイメントにおいても立ち位置や重要性、必要性に対して大きな変革が起きました。

和太鼓もまた同じく、新型コロナウイルスの影響を大きく受け、演奏する場は尽く無くなり、文化の失速を肌身で感じることになりました。

太鼓奏者の生活にも大きく影響を与え、和太鼓と離れる期間が増えた方もいます。

当たり前だったことが当たり前でなくなり、今までの普通が特別になるという今までに無い未曾有の危機の中でも変わらないものも確かにあります。

和太鼓という楽器に対して私個人の見解として「変わらない本質」を述べましたが、変わらないことは和太鼓団体のもあるはずで。

コロナ禍になっても変わらないものは何か?

それを深く考えるきっかけになれば良いと思います。

そして、変わらないものこそが最大の武器であり、この危機を乗り越える力となると思います。

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