和太鼓の種類:意外と知らない和太鼓の種類と違いの解説
- 2019.12.29
- 和太鼓
お祭りや神楽、歌舞伎、能楽などの伝統芸能で欠かせない楽器である「和太鼓」ですが、和太鼓にはたくさんの種類があります。和太鼓は製造方法や胴の作り、革の張り具合によって音が変化します。また、和太鼓によって打法そのものが違うものもあります。
今回は和太鼓の種類について紹介していきます。
今回紹介する和太鼓の種類は大きく分類して「長胴太鼓(宮太鼓)」「締太鼓(附締太鼓)」「桶胴太鼓」「担ぎ桶太鼓」「平胴太鼓」「団扇太鼓」「大太鼓」「鼓」「鼉太鼓」となります。
知ってるようで知らない和太鼓の世界は奥深く楽しいものです。ぜひ一読いただければと思います。
長胴太鼓(宮太鼓)
和太鼓界のエースであり、顔である長胴太鼓は通称宮太鼓と呼ばれております。神社で使われることが多いため「宮太鼓」と呼ばれるようになりあした。
宮太鼓は最もポピュラーで、最も一般的な太鼓です。宮太鼓は胴の中央部分がふくらんだ形をしています。また、一般的に1本の木をくり抜いて作る「くり抜き胴」の太鼓になります。胴に使われる木材は欅を最上としています。
音の力強さや響きの良さから見ても欅が最も優れており、耐久性や木目の美しさという点から見ても欅が最上級として扱われています。
メーカーによっては桶胴太鼓のように木を樽状に張り合わせるタイプの胴もあり、くり抜きよりも安価で手に入りやすい特徴があります。製造方法は桶胴太鼓と近いですが、長胴太鼓として販売されていることが多いです。
太鼓に張ってある革は牛革で、バチで面を打ち抜くように叩きます。すると胴内の空気が振動して音の発生源である打点と共鳴をします。音は壁を反響して響きが膨らんでいきます。
つまり壁である胴が硬ければ硬い程音の跳ね返りを多く繰り返すようになり、残響は大きくなっていきます。革の耳は残す場合と切る場合がありますが、音の変化よりもビジュアルの変化が大きいため、太鼓を保有する団体のこだわりが光る部分です。
太鼓の胴は音の反響を良くするために内部に彫りが入れられる。彫り、胴のサイズ、木の質、革の状態、音の発生源の音質が組み合わさって和太鼓の音は生まれます。和太鼓には同じ音が無く、太鼓ごとに個性があり、異なる音を響かせます。
胴に使われる欅の産地は全国に広がっていますが、特に成長の早い欅は、土嚢の質や水質の良さによって木の質が左右されます。滋賀県から新潟の間に生息する欅の木が良質であると言われています。
くり抜き胴は飛鳥時代に大陸から日本に文化が渡来したときに、同時に日本へ持ち込まれたと言われています。その後くり抜き胴の宮太鼓は神楽や囃子で使われましたが、主に神社や寺に置かれてあることが多かったと言われています、同時代に建てられた寺には3尺級の大太鼓が残っているところもあります。
実際に宮太鼓が普及したのは江戸時代からと言われています。それまでは桶胴太鼓が主流でした。宮太鼓は多くの人が気軽に手に入れることができる和楽器となり、庶民の生活の中にも浸透していきます。
和太鼓は神楽や祭り囃子のような芸能だけでなく、生活の中でも使用されていたため、江戸時代では宮太鼓は客寄せや情報の伝達手段として使われていました。
宮太鼓は据え置きで叩くだけでなく、太鼓を横にしたり、斜めに置いたり、やぐらの上に置いたりと多種多様な打法があります。近年では音の高さが違う複数の宮太鼓を並べて組太鼓(ドラムセットのような形)にして演奏する団体もいます。
太鼓のサイズも1尺の小さめな太鼓から3尺以上の大太鼓まであり、大きさによって存在感や音の性質、打法が変わるため多くの芸能や創作和太鼓で使用されます。
宮太鼓は面を打つ場所によって音の性質が変わるため、1台でも多様な音表現が可能な楽器でもあります。打法によっても大きく音のニュアンスが変わるため、打ち手のコンディションや技量がダイレクトに反映される楽器でもあるため奥の深い太鼓でもあります。
音は太鼓のサイズや胴の内彫りによって音の性質は変化します。2尺付近の太鼓であば中音域よりも少し低めの低音域の音を鳴らします。3尺以上の大太鼓だと深みのある低音域の音が鳴り、体に染み渡るような音の衝撃と残響を生みます。1尺3寸辺りの小さいサイズの場合は甲高い軽快な高音域を鳴らします。フチを叩けば遠くまで届く高音が「カッ」と鳴り響きます。
宮太鼓はバチを面に当てれば、誰でも打てる気軽さや簡易さがあります。また、単純な作りでありながらも様々な表現ができる玄人向けの楽器としても宮太鼓は注目されています。
締太鼓(附締太鼓)
締太鼓は伎楽で使われていた細腰鼓を原型に、時代を追って神楽、田楽、猿楽(申楽)、歌舞伎、長唄、能楽と囃子用に改良を重ねていきました。近年になるにつれて能楽や歌舞伎で使われていた締太鼓の革は厚くなり、張りも強く、胴も大きく深くなっていきました。
鉄輪に張った一枚革を縄で結び締め付けてあります。縄の締付け具合で音をチューニングできるため、用途に合わせて太鼓の音を調整することができます。また、ボルトで締め付けるタイプの締太鼓も生まれ、簡単にチューニングできるようになりました。
個人的見解ですが、締太鼓のチューニングはあらゆる楽器の中でもトップクラスに体力的にキツい楽器であると思っております。
宮太鼓と製造方法は一緒で欅をくり抜いて胴を作っています。欅の木目の美しさが映えるため締太鼓も工芸品として美しい仕上がりになります。
見た目の小ささから軽い太鼓であると思われますが、欅をくり抜いた胴のため重量はあり、見た目に反して重たい太鼓となります。
締太鼓は宮太鼓よりも高い音が鳴り、遠くまで音が響きます。冴えた音色と歯切れのよい高音が求められる楽器でもあるため、打ち手の技量が試される楽器でもあります。
祭り囃子では地打ち(下打ち、ベース)を打つことが多く、曲のテンポやリズムキープの要として使われることが多いです。
石井眞木氏作曲の「モノクローム」では締太鼓を複数台並べ従来の古典芸能では考えられない現代音楽の名曲として締太鼓の魅力を引き出している楽曲です。
特にモノクロームの冒頭部分である単純な最弱音(PPPP)の連打から最大音への音の波は見る人の五感を刺激します。
能楽で使用される締太鼓も基本的な構造は同じだが、革も胴も薄く浅い作りになっています。
近代では祭り囃子や芸能各種の他に創作和太鼓でも広く活用されています。多くの和太鼓団体が宮太鼓に次いで保有している楽器であり、宮太鼓には出せない高音域を担当している傾向にあります。疾走感を出す曲にも使用されることが多く、曲の雰囲気を決める重要な太鼓として重宝されています。
桶胴太鼓
桶胴太鼓は細長い板を継ぎ合わせてたがをはめた、桶づくりの太鼓です。木材は軽い杉が使用されることが多いです。
杉の木自体の歴史は古く、屋久島の樹齢7,000年近くある縄文杉から分かるように、縄文時代には自生していたと思われます。日本にとって馴染みのある木であるため太古より多くの木製の用具が作られていました。
日本にいつ頃から桶胴太鼓があったのかは不明ですが、飛鳥時代前後に渡来した太鼓はくり抜きであったということから日本固有の太鼓ではないか?という説もあります。
日本神話の天の岩戸伝説には天鈿女命(アメノウズメ)が岩戸に隠れた天照大神を外に誘い出すために舞ったという逸話があります。そこには「槽伏(うけふ)せて踏み轟こし、神懸かりして胸乳かきいで裳緒(もひも)を陰(ほと=女陰)に押し垂れき。」という記載があり、どうやら天鈿女命は「うけ」と呼ばれる桶の上に乗って音を足で鳴らし舞ったと言われています。
日本最古の和太鼓は桶胴太鼓ではないかという説はここから来ています。また、群馬県佐波郡境町の天神山古墳から出土された「太鼓を打つ人物埴輪」が持っている太鼓は紐状の線が描かれていることや太鼓の形状から桶胴太鼓である可能性が考えられます。
古くから芸能でも桶胴太鼓は使われており、北陸や東北では「虫送り」で打たれています。
桶胴は自由に胴のサイズを作ることができるため1メートル以上の太鼓が多く作られました。また雅楽で使う鼉太鼓も桶胴太鼓であることから芸能では長い間使用されてきた太鼓となります。
安土桃山時代までは鋲で留められた宮太鼓よりも世間一般に浸透していた太鼓でしたが、江戸時代初頭あたりから宮太鼓の流通が広がり庶民の手に入りやすい太鼓となりました。
近年では桶胴太鼓はくり抜き胴の太鼓よりも安価であることが多いため新興の和太鼓団体が保有していることも多く、見かける機会も多い傾向にあります。また、桶の胴の彩色も多種多様でアート性があり、紐の色との組合せも含めて個性が強く出る太鼓でもあります。
担ぎ桶太鼓
桶胴太鼓の中で近年最も広く普及し、現在の和太鼓団体には欠かせない太鼓として「担ぎ桶太鼓」が上げられます。
担ぎ桶太鼓は桶胴太鼓に帯を付け肩から下げて演奏をします。持ち手は独特で左手はバチの持ち手を親指と人差指の間と中指と薬指(または薬指と小指)の間に挟んで上から下に向けて打ちます。
肩から下げているため自由に動くことができることからパフォーマンス面でもビジュアル面でも優れております。また太鼓の形状お様々なものがあり、胴のサイズや面の張り方、調律方法など太鼓メーカーによっても個性が出る楽器でもあります。
浅野太鼓では締太鼓のような軽快な高音域を鳴らす特徴があり、薄い牛革と馬革を左右に張った「締獅子太鼓」や長時間かついでも疲れにくく、低音の音色が響く「韻」と呼ばれる担ぎ桶胴太鼓など工夫をこらした太鼓があります。
革は牛革が主流ですが馬革が使用されることもあり、音も軽快で高い音から重厚感がある低音まで幅広く出すことが出来ます。
まさに和太鼓界のギターのようなポジションで多くの太鼓打ちが自身のソロを持っており、魅せ場の多い楽器でもあります。
担ぎ桶太鼓を広く普及させた要因の一つに鼓童に所属していたレナード衛藤氏作曲の「彩」の影響が大きかったと言われています。担ぎ桶太鼓の普及は90年代から急速に広がったことになります。
また、担ぎ桶太鼓の普及の要素として「両面打ち」があり、多くの太鼓打ちが取り入れている打法となります。太鼓の面を左手で左右に振り、両方の面を叩く打法は多くの太鼓打ちの心を掴みました。現代和太鼓において多くの団体が曲の中に取り入れるほど広く普及しました。
肩から下げて打つ特性がある太鼓のため軽量化が求められており、桐を材質とした担ぎ桶太鼓が生まれました。桐は現在では広く普及した材木であり、杉についで使用される頻度の高い傾向にあります。
大太鼓
「大太鼓」は現代和太鼓史において象徴のような位置づけです。
3尺以上のくり抜き胴の長胴太鼓を「大太鼓」と呼ぶことが多いです。また、分類としては3尺以上の桶胴太鼓も「大太鼓」の部類に入ります。
桶胴太鼓では北陸や東北では「虫送り」の太鼓で3尺以上の大型の桶胴太鼓が使われます。かつては集落ごとに桶胴太鼓の大きさを競い合っていたと言われています。
今回はくり抜き胴である3尺以上の大太鼓について紹介します。また、雅楽で使われる大太鼓(だだいこ)は「鼉太鼓」として紹介します。
大太鼓がいつから日本にあるのかは定かではありませんが、広島県尾道市にある浄土寺の本堂に正和5年(1313年)銘が入っているくり抜き胴の大太鼓があります。
1313年は鎌倉時代後期に当てはまります。そのため、少なくとも鎌倉時代後期にはくり貫きの大太鼓を作る技術があったと思われます。神社や寺に大太鼓を置いてあることが確認されることから、大太鼓は神事や祭りで神聖なものとして活用されていた可能性が考えられます。
3尺以上の太鼓は元禄時代の江戸や京の祭りなどで使用されておりましたが日本中に定着したのは、それから数百年後、1970年代「鬼太鼓座」が3尺8寸(口径約115cm)の大太鼓を舞台中央に据えて演奏したスタイルが世界で評価されて、次第に日本でも評価されるようになりました。
現在大太鼓の演奏スタイルとして定着している背中を向けて太鼓の面と打ち手が対峙し、腕を振りかぶって面を打つ「正面打ち」の形は、1970年代の鬼太鼓座メンバーである林英哲氏と創立者の田耕氏によって考案され大成されました。
田耕氏は阪東妻三郎氏の映画「無法松の一生」の祇園太鼓のシーンから大太鼓の着想を得たと言われています。林英哲氏は田耕氏の着想を元に大太鼓の正面打ちのスタイルを模索し、完成させました。
現在では大太鼓コンテストが開催されるほど大太鼓のソロ打ちは浸透しています。多くのプロ団体が3尺以上の大太鼓を保有し、団体の顔となっています。
大太鼓の音は低く深みがあり、遠くまで響く爆発力のある轟音が特徴で、空間を包み込み低音が体に沈んでいくような感覚を与えてくれます。打ち手は太鼓と対面することで自身と太鼓の2人だけの世界で太鼓と対話しながらバチで面を打ち抜くように叩きます。
神に身を捧げる儀式のようにも見える大太鼓は打ち手の人生すら写す太鼓です。大太鼓を打ちこなすには応分の技術力と表現力、持久力が求められます。
くり抜き胴の大太鼓として世界最大なのは岐阜県高山市の「まつりの森 高山祭りミュージアム」に展示されている大太鼓です。
大きさは7尺(口径約212cm)で圧巻の大きさです。また、7尺の大太鼓を筆頭に6尺7寸の大太鼓と6尺の大太鼓が一緒に展示されています。同会場には他にも6尺の大太鼓が1張、6尺7寸の平太鼓が2張あり、6尺以上の大太鼓が合計6張もあります。
太鼓好きならば1度は見てみたい大太鼓です。
平太鼓(平釣太鼓)
平太鼓は太鼓の胴が長胴太鼓と比べて短く、銅鑼のような形をしている太鼓です。構造や素材は長胴太鼓と一緒です。また子ども太鼓と呼ばれる小さい太鼓も平太鼓と同じ形であることが多いです。
音は長胴太鼓と比べて横に広がるような音で、音の性質も銅鑼に似ていることから「銅鑼太鼓」とも呼ばれています。
平太鼓は胴に付けられた3ヶ所の鉄環があります。そこに紐や鈎で方形の木枠に吊り下げて座って打つスタイルが主流でした。そのため「平釣太鼓」と呼ぶこともあります。
近年では吊り下げるのではなく据え置きにして打つスタイルや、大太鼓のように台に立てかけて打つスタイルが一般的です。太鼓のサイズも2尺以下が平太鼓のサイズとしては主流でしたが、現在は舞台用として3尺以上の大太鼓と同じ口径の大平太鼓が作られるようになりました。
使用するバチにも近年は変化があり、面を上にしてバットのような形のバチで振り落とすように打つスタイルや、大きめの太いバチを両手に宮太鼓と同じ方法で打つスタイルが一般的となりました。
鼓童の「巴」という曲では大平太鼓を3台並べて交互に打ちます。大平太鼓は舞台栄えするため演出としてもりようされることが多いです。坂東玉三郎演出の「打男」では印象的な使われ方をされていました。太鼓のサイズや形状から勢いのある爆発的な表現に使われることも多い印象です。
音も低音で地響きにも似た、痺れるような低音が空間に広がります。楽曲の低音域をカバーする太鼓であるためアクセントとしても利用されます。
舞台から観ると目立つ太鼓でもあるためアクセントだけでなくソロパートを用意する団体も少なくなく、くり抜き胴の太鼓の中では長胴太鼓と比較すれば安価であるため使い勝手の良さから保有する団体が多い太鼓でもあります。
団扇太鼓
団扇太鼓は直径20cmから45cmの円形の木枠に革を張って柄を付けた団扇のような形をした太鼓です。胴がなく革だけの打楽器で、軽く持ち運びしやすいため手で持ちながら打つ方が多いです。
音は面の大きさで音程が変わるため、その特性を利用した曲も現代では見受けられます。和太鼓奏者でソリストである林英哲氏は、独立直後から複数の太鼓を組み合わせドラムセットのような形にする組太鼓の中で団扇太鼓を導入しています。大きさの異なる複数の団扇太鼓を台に並べて固定することで独特の音表現を可能としています。
1960年に現代音楽の指揮者である外山雄三氏は団扇太鼓を取り入れた「管楽器のためのラプソディ」を発表しています。
元来、団扇太鼓は日蓮宗、法華宗で使用されていました。そのため「法華の太鼓」とも呼ばれていました。団扇太鼓は南妙法蓮華経の題目を上げるときに用いられていました。室内だけでなく室外でも使用することもあり、大勢で題目を唱えるときに叩かれることもあります。
浅野太鼓では団扇太鼓を大型にし、台に置くことで大太鼓のように打てる「月鼓」を制作しました。みやらび太鼓の川田公子氏が大型の団扇太鼓を舞台中央に据えたことがきっかけで改良を重ねていきました
現在は邦楽器として幅広く使用されている太鼓となります。
鼓 (小鼓、大鼓、 太鼓、羯鼓 )
鼓は日本の伝統楽器のひとつで形状によって形態によって小鼓、大鼓、太鼓、羯鼓などがあります。主に手やバチで打つ楽器で古くから雅楽や能楽で使われてきました。
また、狭義の意味では鼓は小鼓を指します。締太鼓、鼓、大鼓に能管を合わせて四拍子と呼ばれています。四拍子は能楽、歌舞伎、神楽、長唄、民謡の歴史の中で欠かせない楽器形態で、近代までは四拍子が和太鼓のスタンダードな形であったと思われます。
胴には豪華な彩色がされていることがあり、法隆寺や正倉院の宝庫内には当時の鼓が現像していることもあります。
鼓の歴史は長く、日本文化史に対して多大な影響を与えてきましたが、発祥はインドと言われており飛鳥時代に渡来したと言われています。太鼓の作りはくり抜き胴で桜を円筒上にくり抜いています。鉄輪に張った馬の革を胴の両面にあて、革縁の穴に朱色の縦調を通します。縦調を交互にかがって締め付けたら、先端を房にした横調で両鼓面の中間を横に締め上げます。
大鼓は全長約30cm、鼓面の直径は約23cmです。小鼓は全長約25cm、鼓面お直径は約20cmになります。
打法も大鼓は左手で調緒を握って左膝に乗せます。そして人差し指と中指に指皮をはめた右手の指の腹で面を打ちます。小鼓は大鼓と違い太鼓を右肩に乗せます。面に「ぶんまわし」と呼ばれている黒色の輪が描かれた表革を正面に向け右手の拳を上に向けて下から面を打ちます。
大鼓は演奏直前まで炭火で革を炙ってカラッと乾いた鋭い音を響かせます。逆に小鼓はある程度湿り気を太鼓に与えます。そのため太鼓の音は「ポンッ」と柔らかい音が響きます。
また、四拍子の打ち手は人間国宝として選ばれる方もいます。
楽囃子方大倉流小鼓方である大倉源次郎氏は2017年当時59歳という若さで人間国宝に認定されました。
両祖父がともに人間国宝に認定されていた能楽師葛野流大鼓方の亀井広忠氏も囃子方として活動をしています。
金春流太鼓方。三島元太郎氏も人間国宝として認定されて活動している囃子方となります。四拍子で使用される太鼓にはそれぞれ流派があり、各楽器単位で人間国宝が選出されています。
また、バチを使って打つ鼓の一種である「羯鼓」があります。
奏者の正面に羯鼓を横向きに置き、先端を団栗状にしてある桴を使って左右両面を打ちます。曲が始まる合図を出す指揮者の役割を担っている太鼓でもあります。雅楽では羯鼓の奏者がバチを手にすることが、他の奏者達に演奏開始を伝達する印となります。
大鼓や小鼓と違い胴は中央が俄かに丸く膨らんだ円筒形の筒の形をしています。革は馬革で構造は他の鼓と同じく調緒で革を張ります。
単独で右片方の面のみを打つ「正」と、連続で打つ「来」に大別されます。羯鼓は演奏に高い技術力が必要な楽器で、理由に曲のリズムやテンポを統括する楽器であることが上げられます。そのため、楽長などの経験豊富な奏者が担当することが多いです。
鼉太鼓
鼉太鼓は雅楽で使用される大太鼓です。最も華麗な装飾性に富み、当時の人々の深い祈りや願いが込められた楽器となります。
全長は6mになる太鼓で、装飾に隠れて見落とされがちですが、くり抜き胴ではなく桶胴太鼓となります。
舞楽の舞台の左右に置かれ、太鼓の周辺には宝珠形(火が燃えるような形)の雲形版で囲まれています。その外周をおびただしい火焔の装飾がされていることから「火焔太鼓」とも呼ばれています。
鼉太鼓は共通したモチーフが装飾されています。舞台の左側の鼉太鼓は左方太鼓、右側は右方太鼓と呼ばれ常に対として扱いますが、2つの装飾には差異があります。
「左右で一対である」という形は833年に即位した仁明天皇の時代ではないかと言われています。
太鼓の面は6尺3寸で胴の直径は4尺2寸、胴の長さは5尺と大型の大太鼓となります。革縁を赤白黒の絹を撚り合わせて作られた調緒を通し、締太鼓のように締め付けています。銅の色は左方太鼓が赤色に、右方太鼓は緑色に彩られています。面には漆で金箔が貼り付けられています。
面に描かれている「巴」は左方太鼓が「三つ巴」、右方太鼓は「二つ巴」を描いています。そして左方に「日輪」を右方に「月輪」を置いています。これは陰陽道の思想を反映したものです。中国の太極の思想では陰陽の成り立ちから二つ巴が使われているが、日本では平安時代の奇数による日本的統制の和を示した三つ巴が描かれました。その周辺には小さな巴紋と剣紋が取り巻いています。
左方太鼓には太鼓の左右に相対して2頭の龍が彫刻されています。右方太鼓は優雅な尾羽根をなびかせた2羽の鳳凰が彫刻されています。龍には古くから雨を司る霊獣として崇拝されてきました。鳳凰は太陽を運ぶ使いとして崇拝された霊獣になります。
使われているモチーフは「宝珠」「雲」「火焔」「剣紋」「日と月」「数」「色」すべてに意味があります。すべて中国の神話や儒教、仏教などに由来しています。飛鳥時代の渡来した文化の影響度が鼉太鼓から垣間見ることができます。日本人の創作意欲や思想と組み合わさって鼉太鼓は生まれました。
鼉太鼓の中でも小さめのサイズで演奏に使われる「楽太鼓」と呼ばれるものがあります。楽太鼓は音楽の節目に打つ重要な役割を担っていたため熟練した太鼓打ちが打つ太鼓でもあります。頭の部分を鹿皮で包んだ2本のバチを使用して打ちます。
日本の和太鼓史の中では鼉太鼓は芸術性を兼ね揃えた太鼓として重要な役割を持ち、印象的な楽器であるため雅楽の顔であり、和太鼓の中でも大太鼓に次いで象徴のような楽器であります。
まとめ:和太鼓という楽器の持つ個性
長胴太鼓、締太鼓、桶胴太鼓の3つを狭義の意味で「和太鼓」に分類されます。広義の意味では団扇太鼓や鼓なども和太鼓に分類されますが、アジア諸国から渡来した楽器の影響が強いため一般的には狭義の意味で和太鼓を指すことが多いです。
和太鼓は様々な製造方法や木材、形状があります。和太鼓は同じ製造方法で同じ形で作っても音に個性が宿ります。
太鼓は用途に合わせて多くの形状のものが作られました。それらはすべて太鼓職人の手によって作られています。現代においても和太鼓の製造には職人の技術は必要不可欠です。
和太鼓は宮太鼓のようなスタンダードでポピュラーなものから、担ぎ桶太鼓のように太鼓打ち以外は中々見かけない太鼓や、鼉太鼓や鼓のような伝統芸能の世界ででしか使われない太鼓まで幅広くあります。
和太鼓の多種多様な音の世界、そして和太鼓自体の工芸品としての美しさ、芸術性を知ることで和太鼓の魅力がより深まり、世間一般への浸透の手助けになると思っております。
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