日本の「美意識」や「美の概念」説明できますか?「あはれ」「侘び寂び」「かわいい」などを紹介
- 2020.02.03
- 伝統文化
「侘び」「寂び」のような日本の伝統的な美意識(または美の概念)と「かわいい」「映え」のような現代的な美意識は、時代は違えども同じ日本人が物事に対して感じる美の概念の一部です。
日本文学者であるドナルド・キーン氏は「日本人の美意識」で日本人の美の概念の中心的な特徴として以下のように述べています。
「暗示、または余情」、「いびつさ、ないし不規則性」、「簡潔」、「ほろび易さ」である。こうした互いに関係する美的概念は、日本人の美的表現の、最も代表的なものを指し示している。とはいえ、これらの反対概念、すなわち「誇張」、「規則性」、「農饒」、そして「持続性」なども、決してなくはないこと、これは繰り返すまでもない。
引用元:ドナルド・キーン著「日本人の美意識」
日本人は太古より「不完全さ」や「不規則さ」を良しとし「あいまい」であることに対して「美」を見出してきました。「所作」を追求し、美しいものとして昇華させ、「おもてなし」を様式化する事で、モノや空間だけでなく時間や移ろいの変化に美を感じ、その結果「作法」や「手順」の追求が「物事を極める」姿勢となり日本独自の美の概念を育んできたのです。
日本人の特徴として刀鍛冶や陶芸家、大工に料理人と共通して職人気質でありながら、物事に精神的な内側の世界へと意識を向けていました。そのため日本人が創出してきた創作物には「移り変わり」や「滅び」を受け入れ抵抗することなくあるがままに受け入れる変化を好む性質がありました。
また、日本人はモノや空間だけでなく、その場の雰囲気や精神的な心構えに対してすら「美」を見出し、今日に至るまで受け継がれています。
本記事では、そんな日本人が抱く「美意識」を古代から現代にかけて紹介していきます。
日本人の自然観と神道
まず初めに、日本人の美意識の根本にある概念として「自然」があります。
「花鳥風月」や「雪月花」という言葉から分かるように、日本人は太古の時代より「自然」に対して「美」を見出してきました。自然を愛する日本人の美意識の特徴として「移り変わり」という時間の流れによる経年変化が挙げられます。
例えば日本庭園は「自然をあるがままに作り出すこと」に重きを置いています。西洋の庭園に見られる調和の取れた景観とは異なり、自然的で混沌としていることが大きな特徴です。これは日本人が「自然のままに変化する景観を楽しむ」性質があった事が挙げられます。
桜の花を美しいと感じるのは「刹那的に美しさと滅びていく儚さ」にあるように、日本人の美意識は「変化」や「空間」に左右されることが多く、自然の持つ得体のしれない大きなエネルギーをベースに価値観や思想が構築されています。そして、自然への畏れは日本人の思考のベースとなる神道へと発展しました。
日本が自然を崇拝するに至った要因として地理的な理由が挙げられます。日本は島国で弓型の形をしており、中央に山脈が連なっています。
日本の気候は縦走する山岳地帯を境に太平洋に面している地域と、日本海に面している地域とで大きく異なり、北海道と本州の高原地帯が亜寒帯、南西諸島の一部は熱帯、他地域は温帯に属しており、南北で寒暖差が大きく、地域ごとに自然の見せる姿が変わるのが特徴です。
また、山岳地帯から流れる河川の量も多く、水に恵まれております。その結果、日本は水害に悩まされることが多く、太古より日本人は自然の持つコントロール不能な強大な力に畏怖の念を抱きながら生活していました。
ある時は恵みを与えてくれる自然への感謝、またある時は全てを奪い去る自然への畏れはいつしか日本の信仰へと結びつきます。
古代日本の宗教観は、アニミズムによる自然崇拝がベースとなった神道を中心に文化が形成されました。そのため、古代日本人の物事における判断基準は「神道」による哲学・思想が大きく関与しています。
また、自然の美しさや自然の猛威と身近であったことから、美意識の基盤には「自然」がもたらす「物事の変化」があります。
そうした背景の中構築されていく日本人の美意識は、仏教の伝来により大きく変化を迎えます。仏教の持つ思想や価値観が広がり、日本の美意識は精神世界へと向けられました。特に「無常」は日本人の本来持っていた自然観と混ざり、「花鳥風月」のような自然の変化や移ろいの中に美を生み出していきます。
日本人は古代の時代より、虫の鳴き声や風の音、川のせせらぎといった自然の音を雑音ではなく1つの音として捉えていたほど繊細な美意識を持っていました。
現代にも受け継がれている日本の美意識は、日本という風土が生んだ文化によって独自に形成され、大陸から渡来した思想と溶け合い日本化させることで研ぎ澄まされていったのです。
無常
無常とは「滅びゆく儚さに見える生き様の美」であり、日本人の思想や美意識において最も根本に近い概念の1つです。
「無常」は仏教において中核教義の1つで、仏教の根本思想である「無常」「苦」「無我」の三相にも含まれている思想です。飛鳥時代に仏教は日本に渡来し、国の中心的な宗教として人々の生活の中に現れました。
古代の日本ではアニミズムによる山や川、森や自然現象に神が宿ると考える自然崇拝の民族で神の依代として自然を奉ってきました。古代神道が主流の生活をしている中に異国神の教えである仏教が渡来し、日本の宗教文化に組み込まれて行きます。
その結果、「無常」のもつ「死生観」や「儚さ」「移りゆくもの」が日本人の自然観と一致したことで、日本人は無常に「美」を感じるようになったのではないかと言われています。
特に中世における日本文学では「無常」抜きに語ることができないほど思想の中心的な役割を担っていることから、日本人の基本的な価値観として「無常」は切り離せない思想であり哲学であることは間違いありません。
「無常」を代表するモチーフの1つに「桜」があります。日本人は古代より桜の花を愛していますが、桜の花が愛される理由の1つに「桜の生き様」に共感し、「美しく咲く姿は永遠ではない」という儚さや残酷さに無常を感じ取ったからであると言われています。
日本人は「移ろい」や「変化」に対して美を見出す傾向があり、西洋に多く見られる「永遠の美しさ」や「悠久の美」という姿勢とは真逆の考え方です。
「一瞬の美学」「刹那の美」「朽ちていく美学」は無常という美意識によって培ってきた日本人独特の美意識の一つです。
もののあはれ
「もののあはれ(物の哀れ)」は「をかし」と並んで平安時代における日本の美意識の中で中心的な美の概念で、平安時代の王朝文学を理解する上では避けては通れない文学的・美的理念の1つとなります。
「もののあはれ」は「哀愁さ」を指し、五感を通じて「見たもの・触れたもの・聞こえたもの・香るもの・感じるもの」によって生ずる「しみじみ」とした深く心に感じる「しんみり」とする感情を意味します。そして、その切なさや儚さは「無常」にも通じる写実的な哀愁に近い感情です。
苦悩にみちた王朝女性の心から生まれた思想であり、叶わない想い・願いに対して感嘆する心の動きと「無常観」を合わせた美意識として世に生まれました。
そのため王朝文学で使用される「あはれ」には悲しみが付きまといます。自分の思いが届かない悲しみや、形あるものはやがて滅びゆくという自然の摂理に感じられる無常観こそが「あはれ」という美意識に深みをもたせ「傷心的な心の動き」に美しさを感じさせてくれるのです。
歌人の西行は「都にて 月をあはれと おもひしは 数よりほかの すさびなりけり(都にいた折に、月を“あはれ”と思っていたのは物の数ではない すさび(遊び,暇つぶし)であった)」と「あはれ」について詠んでいます。この歌で西行は月に「あはれ」を感じ、神秘的で奥深い趣きから後の「幽玄」の境地を拓き、東洋的な表現である何もない空間「虚空」を表現しました。
「月の満ち欠け」「桜の花」「人の優しさ」「時間の流れ」といった移ろいの中で感じる哀愁さに「美」を見出した「もののあはれ」は「花鳥風月」のような自然の変化を鑑賞する自然観と、仏教思想の栄える者もやがては滅びゆく「無常」が人々の生活の中に溶け込み、戦や権力争いといった時代背景と、貴族文化と色恋のような文化的背景によって育まれました。この「あはれ」の美学は後の時代でも美意識の基盤として引き継がれていきます。
現代でも「儚さ」や「哀愁」は日本人の感情を突き動かす美意識の1つで、どこかノスタルジーを感じさせるものに惹かれる傾向にあります。今も昔も日本人は「もののあはれ」に心を動かされ続けているのかもしれません。
をかし
「をかし」は「もののあはれ」と並んで平安時代における日本の美意識の中でも重要な美の概念となります。
平安時代における王朝文学の中で「をかし」は重要な文学的・美的思想の1つで、もののあはれが「しみじみとした情緒美」であるのに対して、をかしは「明るい知性的な美」と位置付けられています。
「をかし」はは「趣がある」という意味を持ち、感覚的に物事を捉える性質があります。物事や景観に対して「物事や事象が感じさせる風情」「しみじみとした味わいが深いもの」に対して「趣き」を感じる心を指します。
カラッとした暑さが続く暑の日に、窓辺で内輪を仰ぎながら青い空と真っ白な雲を見上げる。その時「チーン」と風鈴の音が聞こえてきた時「なんかいいなぁ」と感じる心の動きが「をかし」です。
平安時代における「をかし」を読み解くことで日本人が何に対して「美」を感じていたのかを想像する事ができます。
源氏物語に「けづることをうるさがり給(たま)へど、をかしの御髪や」という一文があります。これは「髪をとかすのを嫌がるけれど、美しい御髪(おぐし)ですね」と現代語訳されます。また、枕草子では「また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし」では「また、ただ一つ二つと、(ホタルが)かすかに光って飛んでいるのも趣がある」と訳されます。
当時の日本人が感じていた「美しい」「素晴らしい」「綺麗だ」「物凄い」という風情に対して使われていた言葉であると思われるため。「をかし」は日本人の「ふとした時に感じる美」を表現する美意識の1つになります。
現代で言う「ヤバい」とか「エモい」にはどことなく「をかし」のニュアンスが含まれているようにも感じます。(あくまで個人的な見解です)
ちなみに、室町時代では同じ「をかし」という言葉でも意味合いが変化し「滑稽である」「笑いたくなる」という意味を持つようになりました。能を大成させた世阿弥の能楽論の中に狂言の滑稽な様を「をかし」と表現していることからも言葉の意味が変化したことを裏付けています。
雅
「雅(みやび)」とは平安時代の王朝文化の中で生まれた美意識で、日本の伝統的な美的概念となります。「優雅さ」「洗練さ」という意味を持ち、平安時代の王朝文化や貴族の思想の中心的な美意識でもあります。
「みやび」の「みや」は「宮」を指し、「宮廷」を意味します。つまり宮廷好みの優美で優雅な美意識とそれに伴う「立ち振舞い」「姿勢」「所作」「博識さ」「マナー」「美的センス」を指します。
また、「雅」にも「無常」の思想は強く反映されており、「もののあはれ」や「移り変わり」という概念にも深く結びついていました。特に女性の装束、調度、絵画、建築、音楽の中で「雅な無常さ」は表現されます。
宮廷の女性の装束には四季折々の景色や色合いに合わせて、その彩りを装束の重ね目に表し色の変化を楽しんでいました。四季に合わせて変化させる色の重ねは貴族が女性に対して好意を抱く際の重要な要素でもありました。季節に合わせた色選びが教養として重要視されていた時代です。その変化を楽しむ様は「無常」や「あはれ」「をかし」の美意識が複雑に混ざり合った結果生まれたと想像されます。
また芸能面では雅楽が「雅」の世界を色濃く表しています。大陸文化のエキゾチックな装束と優雅さを表した舞踊と音楽は雅の持つ思想を強く反映しています。現在でも雅楽は当時の文化を維持したまま伝承され、演奏されているため平安時代の「雅」を感じることができます。
「雅」は文化的なものだけに収まらず、立ち振舞いや姿勢を表す哲学的思想としても発展をしました。優雅で博識な姿勢は貴族の教養であり、貴族社会において重要な行動指針でした。中世の日本文化の根本にある美意識であるため、後の世にも文化的にも思想的にも大きな影響を与えました。
宮廷文化で繁栄した「雅」は戦乱の世を経て一度滅びてしまいます。武士を中心とする乱世では「雅」という美意識はそぐわない価値観だった事が要因だと思われます。
しかし、乱世が終わり平和な時代が到来した安土桃山時代から江戸時代にかけて「雅」は復活します。雅を復活させた要因の一つに当時起こった芸術活動の1つ「琳派」が挙げあれます。琳派は「雅」の美意識を再現した芸術作品を多く生み出しました。
「雅」という平安時代に生まれた太古の美意識が持つ豪華絢爛な美しさは、現在においてもデザインや芸術活動、営みの中で生じる文化活動の中で影響を与え続けており、「豪華で美しいもの」「洗練されており優雅なもの」に対する美しいと感じる美意識は生き続けているのです。
幽玄
「幽玄」とは、日本の美意識の1つで、数多くの日本文化に影響を与えた最も重要な美の概念の1つとなります。「幽玄」は神秘的であること、奥深く味わい深い領域を指します。
幽玄とは目に見えるものではなく、目に見えない深い世界の領域から醸し出される美であり、感じるものであるため精神的であり哲学的思想の概念でもあります。そのため「幽玄」という美の感覚を言葉で伝えるのは難しく、実際にその奥深い味わいを体験したものにしか感じる事ができない感覚的な美の領域になります。一般的に「静寂さや神秘的な趣きの中で感じる心の動き」を指す事が多い美的概念です。
中世日本における文学、絵画、芸能などの芸術分野では「幽玄」は代表的な美意識で、芸術活動の中で開花した美しさの概念です。
幽玄は平安時代後期には概念として生まれており、「千載和歌集」の中で藤原俊成が歌論の中で西行の歌に対して「心幽玄に姿及びがたし」と論じられています。また、鎌倉時代に記された「方丈記」には「詞に現れぬ余情、姿に見えぬ景気なるべし」と論じられており「幽玄」は姿形で表すことができない余情であると表現しています。
幽玄は目に見えないが姿形からにじみ出ているオーラにも近い精神的なもので、天台宗僧侶で連歌作家の心敬は「ささめごと」の中で幽玄を「心の艶」と表現しています。幽玄は雅であることではなく、その奥にある「心の艶」であり、寒くやせたる「冷えさび」を表していると論じています。
この「冷えさび」を具体的な芸術の中で表現したのが世阿弥によって大成された「能(幽玄能)」となります。世阿弥は能を「老・女・軍」の三体と考え、老体を「神さび」、女性を幽玄に当てはめ「花鳥風月」「みやび」と考え、軍体を「身動き」と定義づけしました
世阿弥は幽玄を「優美」と解釈し、女性の優美な姿に幽玄を世阿弥は見ていました。静寂で神秘的な深い趣があり、優美で奥行きのある目に見えない「何か」を能の世界で表現しています。
「幽玄」は華道や茶道に代表される芸道や、和歌や俳諧などの歌、後の世に生まれる「侘び」「寂び」といった美意識など多くの文化に影響を与えていきます。
「幽玄」とは姿形で表現できるものではなく「奥深い趣き」「高尚で優美」「雅である」「上品である」という事柄であり、「そのさま」を指すため、美的理念として後世まであらゆる芸術のインスピレーション源として追求されていきました。
風情
「風情」とは日本古来より存在する美意識の1つで、「あはれ」や「をかし」といった美意識の中にも含まれる美的概念となります。
一般的に「風情」は長い時間を経て大自然によってもたらされた物体の劣化や、自然によって作り出された「儚さ」「質素さ」「空虚さ」の中にある美しさや趣き、情緒を見つけ感情を揺さぶられることを指します。
「無常」や「あはれ」「をかし」に代表される「移り変わりの美」の中でも四季によって作り出される「自然本来の姿が持つ本質的な部分」に惹かれて心を動かされることを指します。そのため「風情」は味わいがあるものや、気配、様子を意味します。また能では風情は本質的な部分への美として「所作」「しぐさ」を指します。
「風情」とは人工的に作り出された美しさではなく、自然と醸し出される味わいのことであり、物事が本来持っている「儚さ」や「哀愁」を持った風景から上品で美しい「美」を感じ取る様子を意味します。
現代では歴史的な町並みや自然のあふれる景色などに対して「風情がある」と使います。風情とは「本来の姿」という意味で使用されていることが多く現代にも残る日本の美意識の1つです。
風流
「風流」とは中世以降に登場した美意識の1つで華美な趣向を凝らした意匠を指し、「婆娑羅」や「数寄」とともに「侘び」「寂び」と対峙する美的概念として認識されています。風流という美的概念は多くの芸能、芸術、建築で用いられました。「風流」という美的概念は日本伝統芸能の1つとしても属しており、文化運動として庶民の間で発生もしています。そのため中世の日本人を知る上で重要な美的概念の1つになります。
日本伝統芸能の「神楽」や「田楽」、「念仏踊り」、「語り物」、「舞踊」の中に風流のエッセンスは多く見られていることから、多くの芸能に影響を与えてきました。みやびやかで派手さがある「風流」は俗から離れた趣のあるものという意味を持ちます。そのため、基本的には風流は趣向を凝らした作り物に生じ、祭礼でのさまざまに飾り立てた作り物や音楽、舞踊に対して「風流」という言葉を当てはめて使うことが多いです。
「雅」のもつ優雅で洗練された美意識が、宮廷文化から庶民文化へと受け継がれたことで「風流」の誕生に影響を与えたと思われます。
現代でも風流は「洗練された味わいのある優雅なようす」として芸術分野に影響を与えています。
侘び
「侘び」とは「寂び」と並んで日本の美意識の中で最も有名な概念の1つであり、禅宗の思想が反映された日本思想の1つでもあります。
「侘び」は「荒ぶ」に由来する言葉で本来は「侘しい」もの、つまり「粗末」で「貧相」、「粗相」なものしか出せないものとなります。そして、言葉としては「お詫びする」が語源となります。
「侘び」のもつ「欠けたもの」「粗末なもの」を愛でる美意識は平安時代に書かれた徒然草に記されています。「侘び」は概念としては古くからある美意識で、日本人が持つ「不完全なもの」「不規則なもの」「寂しいもの」「哀愁があるもの」「移りゆくもの」に対して美しいと思う心を表したものになります。
その後、長い時間を得て「侘び」は禅思想と重なっていくことで大きく進化をし余計なものを削ぎ落とした美の概念として完成され、質素で研ぎ澄まされた最小の美を指すようになりました。
室町時代の茶人であり「わび茶」の創始者でもある「村田珠光」は高価で質の高い「唐物」を尊ぶ風潮に対して、より粗末でありふれた道具を使用する方向に茶の湯を変えていきました。臨済宗の僧一休宗純によって禅の思想に触れた珠光は茶の湯に対して禅思想を取り入れたことで「侘び」という概念に芸術的な美しさが生まれ、美的概念として大成を遂げます。そして現代に続く茶道の基礎が作られ「侘び」という美意識が現代に至るまで発展していきました。
千利休は「侘び」を極限まで突き詰め、茶室は侘びた風情を強め余計な装飾は排除され最小限のものを置き、質素で粗末な作りへと変化させていきました。
「侘び」は茶道の発展とともに洗練されていった美意識であり、後の世の俳諧においても目指すべき境地として理想化されていきました。
最小を目指した極限の美こそ「侘び」の真髄であり、不完全なものを敬う心である「侘び」は粗末なものの中にある洗練された美を見出すものとして様々な文化を生み出していきました。
「侘び」は現代アートの1つである「ミニマリズム」にも通ずる日本独自の美的概念として今尚多大な影響を与え続けています。
寂び
「寂び」とは「侘び」と並んで日本の美意識の中で最も有名な概念の1つであり、禅宗の思想が反映された日本思想の1つでもあります。
閑寂さのなかにある奥深いものや豊かなものをしみじみと感じられる美しさを指し、性質としては内部的本質が外側ににじみ出ることを意味します。
「寂び」は本来、時間の経過とともに劣化したさまを意味し、「寂しさ」という静かで人がいなくなった状態を指します。
「古めかしくて趣がある」「枯れて風情がある」ことを「寂び」と表現しますが、この美的概念は万葉集でも「まそ鏡見飽かぬ君に後れてや朝夕にさびつつをらむ(澄んだ鏡のように見飽きぬ君に後に残され、朝も夕もさびしく暮らしている)」歌われており、美的概念としては古くから存在します。
「寂び」に美を見出し、世に広めたのは平安時代後期の歌人である藤原俊成であると一般的には言われており、歌人を左右二組にわけ、その詠んだ歌を一番ごとに比べて優劣を争う遊びである歌合の中で「寂び」という概念を表現している事が確認されています。
例えば「広田社歌合」では、「武庫の海をなぎたる朝に見わたせば眉もみだれぬ阿波の島山」という歌に対し藤原俊成は「詞をいたはらずしてまたさびたる姿、一つの体に侍るめり」と「さびたる姿」として評しており「衰え」や「変化」を美として表現しています。
「寂び」という美意識が洗練され、より深化させたのは江戸時代前期の俳人「松尾芭蕉」です。松尾芭蕉は高い芸術性のある俳諧を多く詠み、その中で「不完全で寂しいもの」に対して叙情的なさみしさを表現しました。この叙情的なさみしさこそが「寂び」という美的概念のコアとなる部分になります。心が揺れ動く「劣化」「寂しさ」「衰え」の中に美を見出し芸術へと昇華させたのです。
現代では「侘び寂び」としてひとまとめにされることが多い概念ですが、本来はそれぞれ独立した美の概念であり、意味も違います。
「侘び」が粗粗しい粗末なイメージに対して「寂び」は枯淡の中の美をイメージします。色彩も「侘び」は黒に近い風味に対して「寂び」は上品さのある渋い色合いを持ちます。どちらも質素で貧相なもの、最小限の美としてまとめられますが、背景が異なるため注意が必要です。
「寂び」は枯れたものや寂れたものの中から美を見出すため、美意識としては「あはれ」の系統が強く残っています。また、枯山水に代表される禅思想から生まれた芸術の発展もあルコとから、現代に残る芸術や文化に対しても大きな影響を与えています。
婆娑羅
「婆娑羅(ばさら)」は中世を中心に全盛となった美意識で、後の「傾く」に繋がる美意識です。また、婆娑羅は日本伝統芸能の1つである「歌舞伎」の源流となった美的概念でもあります。
「婆娑羅」は身分秩序に縛られず、名ばかりの権力を振りかざす公家や天皇に対して反発し、身分を超えた贅沢で派手な振舞いや、粋で華美な服装を好む美意識となります。このような運動は現代社会でも起こり、社会や権力に対する反発運動として世界中で発生しています。
「婆娑羅」は時代の流れの中で生まれた反抗精神から生まれた美徳であり、実力主義で傍若無人な様という意味で、現代まで伝えられていることが多い傾向にあります。室町時代では足利直義主導のもと婆娑羅を禁ずるという趣旨の方針が残されていることから当時の社会問題の一つでした。
太平記の中で、源氏足利将軍執事であり守護大名であった高師直や、近江国守護大名の佐々木道誉、美濃国守護大名の土岐頼遠などの婆娑羅的な言動が記されて残っていることが確認できることから婆娑羅は破天荒な大名に対しても使用されていたと思われます。
戦国時代で発生した風潮の1つである「下剋上」は婆娑羅の美意識によって芽生え、後の時代に大きな影響を与えました。また、戦国時代になる頃には「婆娑羅」という言葉は使われず「うつけ」や「傾き」という言葉に変わっていったため「婆娑羅」という美意識は概念だけが引継がれ言葉自体は消滅していきます。
婆娑羅は豪華絢爛な造りを好み、派手さを追求しており個性の強さが重要視されるという特徴があります。金銀で施された剣やコントラストの強い色彩の羽織物、豪快で大胆奇抜な様を表現したものに対して「婆娑羅」と使われます。
婆娑羅の精神は「傾き」へと受け継がれ、出雲阿国によって生まれた「歌舞伎」へと継承され、芸能の中に生き続けています。
閑吟集の中に記された一文に婆娑羅の真意を着いた歌があります。
「何しようぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」
この「ただ狂え(狂ったように一生懸命生きる)」こそが婆娑羅の本質であり、婆娑羅の持つ美意識となります。
現代社会に生きる私たちの胸に刺さる言葉ではないでしょうか?
いき
「粋(いき)」は江戸時代の庶民の生活から生まれた美意識であり、「心意気」や「潔さ」といった生き様に直結する美意識となります。
いわゆる江戸っ子の生き方の指標であり、男性は男気や勇み肌であることを指し、女性は色っぽさを指します。
「いき」は本来「意気」であり「意気地」「意気込み」を指す言葉でしたが、遊郭での身なりや振舞い、男女の精神的な「本気」「純潔さ」が「粋」という言葉を当てるようになった由来であると言われています。
「いき」の反対語は「野暮」「無粋」であり、江戸町人の視点からは上方(京・大阪)を指します。生粋の江戸っ子であり、江戸の花には命を惜しまない火消し達、職人気質な親方と白足袋はだしで走り回る鳶職など「粋」は江戸の生活の中に浸透しています。
「粋」は芸能や芸術の中でも中心的な美意識として存在しています。浮世絵や歌舞伎の中で「粋」は描かれ、江戸の生き様として発展しました。歌舞伎役者の身にまとう装束は「粋」を体現する見本となりました。
また同じ「粋」という感じで「すい」という言葉もありますが、これは「いき」とは違う美意識の1つで主に上方(京や大阪)での美意識となります。どちらとも「いき」は内面美であり「すい」は洗練された美を「極める」という豪華さが理念の中に伴います。
「粋がある」とは「心意気」を指し、細かな気遣いや、さりげない行動を指します。
また、近い美意識に「通(つう)」があります。通は「遊び心の美意識」を指します。「粋(いき)」は親しみやすく明快で「すい」や「つう」の美意識も重なる部分があり、広い意味を持つ言葉ですが、現在の日常生活の中でも使われる美意識として浸透しています。
渋さ
「渋さ」は現代でも残る美意識の1つで「かっこよさ」や「美学」を指す言葉として使われています。
「渋さ」は華やかではなく落ち着いた趣きがあり、地味で味わい深く、奥深い美を指します。「渋さの美」は日本芸術や日本建築の中で重要な位置であり、茶の湯に使用される道具や建築の中で「渋さ」が美的概念として強く反映されました。
熟成されて苦味のある汚れた味わいから醸し出される趣きは、長年愛用され使い古されてきたモノに宿ります。彩度の低い色、ゆとりがあり熟された間のある味わい深い音色、熟成された余裕のある色気、使い込まれた道具などに美を見出し、日本独自の美意識として発展していきました。
長い年月をかけて成熟した技工や思考に関しても「渋さ」は宿り、味わいの深さは生き様が反映された個性は「あはれ」「をかし」「侘び」「寂び」に見られる「哀愁の美」や「移ろいの美」にも近い美的感覚でもあります。
また、抹茶やシブガキのように「渋い味わい」を好む日本人の味覚センスもまた「渋さ」という概念の発展に貢献してきました。
「渋さ」は日常会話の中で「色」「工芸品」「音楽」「芸術」「生き様」などに「渋い」という言葉で表現することが多いです。また粋なものへの愛着、いぶし銀などに対して敬意を込めて「渋い」という言葉を使う傾向にもあります。
例えば丁寧に使用された革製品や衣服、活動歴の長い音楽家や芸術家、彩度の低い暗い色で構成された空間、地味で派手さのないものに対して「渋い」という言葉を使います。
「渋さ」には「かっこよさ」という意味が含まれており、時間とともに培われた経験によって生み出されるモノに対して尊敬や憧れから使われます。
「渋さ」とは生き様であり、心意気でもあります。味のある美しさをよしとするこの美意識は広く深い美学となります。
かわいい
「かわいい」は現代日本に根付く美の概念で「可愛らしい」を語源として成立しています。また、「かわいい」に近い美の概念は平安時代からあります。また「kawaii」として世界言として日本のみならず世界中で使用されています。
「かわいい」は英語の「cute」や「pretty」とは異なり広い範囲を包括した独特の美意識で「小さくて小柄なもの」「柔らかい色合い」「子ども」のようなものから「グロテスクなもの」「不気味なもの」「仕草」「行動」「不完全なもの」「個性的なもの」など幅広いも事柄に対して「かわいい」という美意識が当てはまります。
「きれい」とは違う美意識で、「かわいい」には親しみがあり、守りたくなる本能を刺激する傾向があります。
「かわいい」の歴史は古く「愛らしい」から生まれた言葉であり、日本古来より存在していた概念となります。例えば枕草子には「うつくしきもの(かわいいもの)」として「瓜にかきたる稚児の顔、雀の子のねず鳴きするにをどり来る~」とあります。かわいいものとして「小さいもの」「無邪気なもの」「未成熟なもの」としてあげています。
古来から続く概念は現代になって少女文化と急速に接近し、独自の概念として「グロテスクなもの」を含む特徴的でおぞましく、バランスが悪いもの、キャラクターなどに「愛くるしさ」を当てはめ、カラフルでポップなもの、極端なもの、サブカルチャーに属するような大衆的ではないもの、中世や古代の文化、現代アートなど様々な範囲の事柄を囲い込み、仕草や行動、感情の変化など内面的な性質のものに対しても「かわいい」という概念は当てはまるようになりました。
90年代以降には「エロかわいい」「キモかわいい」のように異なる形容詞との組合せで新しい美の概念を表す動きも現れ、「かわいい」はネガティブなものもポジティブさに変換する力まで備わっている傾向にあり、現代におけるブランディングイメージや創作物のインスピレーションとして「かわいい」は幅広く使用されています。
萌え
「萌え」は可愛げのある行動や仕草から生まれる感情を指します。主にオタクカルチャーの中で発展した美の概念で、二次元のキャラクターや二次元的な世界観、少女性などを指すことが多いです。「好意」「愛着」「傾倒」を意味し、「かわいい」や「好き」と同義語として使われています。
「萌え」は元々サブカルチャーの性質を持つ文化でアニメーションやコミック、イラストレーションから生まれた美の概念ですが、「電車男」や「萌えアニメ」のムーブメント、「AKB48」のようなアイドルグループ、「メイドカフェ」や「コスプレイヤー」のような「萌え」という概念は実体化し、可愛らしいものとして世間に浸透していきました。
芸術や音楽の中でも「萌え」という概念は使用され、日本のみならず世界中で高く評価されています。特に日本のオタク文化は世界に誇る文化として多くの地域で町興しとして使用されるほどになりました。
「心理」や「行動」などの内側の性質も持ち合わせているため「萌え」の中でも幅広く意味を持つ傾向にあります。また、「萌え」と感じる対象も時代ごとに好みが変化していく傾向にあり、80年代、90年代、00年代、10年代では同じ「萌え」でも対象となる絵柄や性質が異なることもあります。ただ、基本としてオタク文化をベースとしているという原則に関しては大きな変化はありません。
アニメ文化の発展やコスプレ文化の発展により「萌え」という概念は深く浸透していきましたが一般的な会話の中で「萌え」という言葉が出てくることは少ない傾向にあります。内面から湧き出る感情にも近いためインターネットが発展した現代だからこそ、テキストによるコミュニケーションとともに生まれた美意識である可能性もあります。
盛る
「盛る」は「かわいい」から発展した美の概念の1つで、実物よりも大げさに増加させることを指します。
「盛る」という美意識は若者言葉から発生し、「誇張する」という意味があります。「話を大げさにする」「髪型にボリュームをもたせる」「メイクを派手にする」という意味を指し、若者文化のベースとなりました。
「盛る」とは自身を理想の状態に変化させるという性質を持ち「かわいい」が持つ「愛くるしさ」という概念を自身の持つ美的センスと掛け合わせたものとなります。また、自分自身を表現する意味を持ち、「変化」や「変身」という意味合いも持ち合わせている傾向にあります。
「盛れる」という言葉を使用するタイミングも、実際よりも良い状態に対して「盛れてる」という言葉を使用するため「変化」という性質が重要であると想定されます。
浮世絵などに見られる「理想化」という美意識と近い性質を持っており、現代において突発的に発生した美の概念ではなく、古来より継承されてきた写実的な「自然」の姿ではなく、空想的で理想化された「人工」的な美という美意識の系譜とも言えます。
「盛る」は現在において最も主流に近い美意識で「プリクラ」や「SNOW」のような加工アプリに見られるように、実際よりも愛くるしく加工する美的概念はバーチャル世界での表現方法として発達していきました。
「目立つ」や「派手さ」という意味合いが強かった90年代~00年代よりも現在は「愛くるしさ」が重要視されています。コミュニケーションの場がリアルよりもインターネットのバーチャル空間が増えたことで、リアルで会ったこと無い人に対して実際よりもよく見せたいという思いから「盛り」は発展し、「愛くるしさ」が重要視されたのではないかと思われます。
「盛る」の美意識は人だけでなくあらゆる物事に対しても発展していきます。実物よりもよく見せることは写真技術の進化とともに進み、食べ物や景色などにも「盛る」という概念が浸透しました。映像や芸術に対しても人の心を大げさに揺さぶる手法として「実物よりもよく見せる世界観への加工」が発展していきました。
元々「実物よりもよく見せる」という概念は「盛り」という文化以前にも存在していましたが、現代においては「より大げさに」「より印象的に」加工する傾向にあります。
その美意識はやがて「映える」という美意識へと深化していきます。
映える
「映える(ばえる)」は「盛る」をより広範囲に視野を広げ、ありとあらゆる現象を綺麗に見せることを指す美意識です。
色彩の濃淡や構図のバランス感を意図的に綺麗に見せ、不純物を取り除いた状態にすることで「映える」が持つ「輝いて見える」「ひときわ良く見える」という状態を表現します。
「映える」は本来「はえる」と読みますが、「SNS映え」「インスタ映え」という言葉から「ばえる」となりました。
「映える」はSNSの浸透とInstagramによる「写真をより良く見せる」という文化によって深化していきました。「人物」だけでなく「景色」「食べ物」「道具」などあらゆるジャンルのありとあらゆる世界観に対して、自分自身の持つ内面的な世界を理想化させた「実際よりもきれい・おしゃれ・かわいい状態」にすることがベースとなります。
「映える」は社会現象となり「おしゃれ」で「フォトジェニック」なものや「豪快」で「極端」なもの「非現実的」で「神秘的」なものを提供することで人を集めSNSに投稿してもらうという購買行動が活性化しました。
「映える」は「盛る」と同じく現実の理想化が根本にあり、インターネットというコミュニケーション空間だからこそ発展した美意識であると思われます。
「よく見せたい」という概念は古来より存在し、「婆娑羅」や「粋」は当時の若者文化を反映させた「派手」で「目立つ」美意識です。そのため、「映える」も突発的に現れた概念ではなく古来より存在していた「理想化」という概念が現代の社会環境や文化的背景の中で発展したものであると思われます。
「映える」は個人の持つ世界観を表現する手法として生まれ、進化した現代における美意識の1つとなります。
まとめ:美意識と個性
「自分自身を表現する」という個性の時代である現代だからこそ「美意識」は重要な概念であると思います。
何かを表現する中で「自身の価値観はどこにあるのか」「なぜ美しいと思うのか」を言語化する時に先人が感じた「美の概念」が参考になります。そして美の概念は現代の文化と融合し新しい美意識として発展していきます。
また、新しい価値を想像する際にも日本人が古来より感じていた美意識はベースとして重要な要素となります。
そして、美意識は個人の持つ「個性」をより際立たせ、「自分らしく生きる」という現代人のアイデンティティを具現化させてくれる要素として役に立つと思います。
自身の感じる「美しさ」はどこからきているのか。なぜ美しいと感じるのかを読み解くヒントとして「美意識」は手助けしてくれます。
■参考文献
-
前の記事
日本伝統芸能ってなに?:能や歌舞伎だけじゃない!意外と知らない日本の伝統芸能 2020.01.03
-
次の記事
重要無形民俗文化財「板橋の田遊び」を見に行こう!田楽系の予祝行事を楽しむポイント 2020.02.04